こんにちは!
今日はTWICEの生みの親で虹プロジェクトで活躍しているプロデューサーのパク・ジニョン(J.Y.Park、ジェイワイパーク)さんについてと、JYPエンターテインメントという会社についても少し書いていきたいと思います。
まずパク・ジニョンは何者かと言うと、韓国で歌手、プロデューサー、実業家として活動している人です。
ある程度K-POPのことを知っているファンなら、パク・ジニョンの存在は知っていると思いますが、彼のこれまでの成し遂げてきたことを知らない人も多いと思うので、詳しく掘り下げていきたいと思います!
ちなみにK-POPファンの間ではパク・ジニョンやJ.Y.Parkという本名よりも餅ゴリというニックネームで親しまれています。この餅ゴリというニックネームの由来はパク・ジニョンが餅が好きなことと、ゴリラに似ていることからだそうです。
パク・ジニョンの経歴
1972年 韓国ソウルで生まれる。
小学一年生の時に父親の仕事で渡米、二年程ニューヨークに住む。
1992年 グループ「パク・ジニョンと新世代」でデビュー
しかし、振るわず、いろいろなオーディションを受けるが落選する。
1994年 作曲家キム・ヒョンソクの助けを得たのちソロの歌手として復帰する。
この時から早くもメディア戦略の頭角を現していて、当時珍しかったセクシーな衣装をきて注目を浴びた。
1997年 事務所から独立し「テホン企画」(今のJYPエンターテインメント)を設立する。その後、男性アイドルグループ「God」をプロデュースし国民的グループに成長させる。
1999年 結婚する。
2001年 会社名を「JYPエンターテインメント」に変更する。
JYP は自分の名前の頭文字から付けられた。
2003年 アメリカに進出し、ロサンゼルスを拠点に活動を開始する。
ラッパーのメイスに曲を提供したのを皮切りに、R&B歌手のキャシーやウィル・スミスのプロデュースも手掛けて実績を築く。日本でも活動し、AIやSMAPとコラボレーションもした。
2007年 自身の歌手活動を再開する。
2008年 大統領直属諮問機関「未来企画委員会」の民間委員に任命された。
2009年 離婚する。
2013年 一般女性と再婚する。
2015年 日韓台混合ガールズグループTWICEをデビューさせる。
2019年 日本のソニーミュージックと共同でオーディション企画「Niziプロジェクト」を行うことを発表する。
簡単な経歴はこんな感じです。(Wikipediaを参考にしました→パク・ジニョン - Wikipedia)
今年の一月には第一子が生まれプライベートでも仕事でも絶好調ですね!
経歴にもあるように、パクジニョンはプロデューサーであると同時に歌手もしているんですよね。今でも事務所のアーティストの曲を作ったりしつつ、自分の曲も作って2019年11月に新曲をだしました。MVに映画パラサイトのお金持ち母役で出演していたチョ・ヨジョンが出ていたことで少し話題にもなりましたね。
しかも顔からは想像できないような美声なので初めて聞くとびっくりすると思います。
これはTWICEの曲の中でも人気のある「Precious love」を歌っている動画です。
【TWICE生みの親】JYP社長(PD)の「Precious love」
実はこの曲はTWICEの曲ではないんですよねー知っていましたか?
この曲の原曲はJYPエンターテインメントの最初の女性アーティストだった歌手パク・チユンの曲で、TWICEはそれをカバーしたんですよ。この曲はパク・チユンの曲の中でも大ヒットした曲で「成人式」とともに世間に知られている曲です。
パク・チユンは今はJYPを去っていますが、この前TWICEと番組で共演する場面がありました。
パク・ジニョンは親日なのか
パクジニョンはよく親日家であるといわれるのですが、その理由は何なのでしょうか。
先ほどの経歴をみてもらったら分かるのですが、パクジニョンはアメリカに住んでいたことがあり、ブラックミュージックに触れる機会が多かったそうです。帰国後、桑田佳祐が率いるKUWATABANDの曲を聴き、アジア人でもこんなにいい曲が作れるんだと鼓舞され、日本の音楽を聴きはじめたそうです。当時、韓国では日本の文化芸能を取り入れることが法律で禁止されていたので、日本の音楽も当然禁止されていました。しかし、パクジニョンは韓国の闇市で日本の音楽を手に入れていたそうですからすごいですよね。このことは虹プロジェクトのインタビューの中でも語っていました。自分が日本の音楽から大きな影響を受けたので今度は自分が日本の音楽界に影響を与えたいとも語っていましたね。パクジニョンは小室哲哉を尊敬しているようで、ある雑誌で小室哲哉との対談が掲載されていました。韓国三大事務所の一角を率いる今では「韓国の小室哲哉」とも呼ばれているそうです。
パク・ジニョンは高学歴だった?
音楽の才能に秀でていてアーティストをプロデュースしつつ自身も歌手として第一線で活躍しているパクジニョンですが、実は高学歴芸能人としても知られています。
上の経歴では伏せておきましたが、パクジニョンは延世大学校の地質学科出身で同じ大学の大学院まで通っていたんですよねー大学は理系だったのに、なぜか大学院は政治学を学んでいたみたいです。まあ途中で辞めたみたいですが。
延世大学校といってもあんまりピンと来ないかもしれませんが、韓国では超有名大学で、韓国の私立大学では高麗大学と並ぶツートップです。日本でいう早慶みたいな感じですね~受験戦争が厳しい韓国で有名大学に進学していたなんてすごいですよね。
高学歴ということと関係あるのかは分かりませんが、語学にもとても秀でているようですね。アメリカに住んでいた経験があると上で書きましたが、英語は普通に話すことができるようです。NIzi projectではオーディションで日本語よりも英語が得意なメンバーには英語で話しかけていてその英語力を見せつけましたね。Nizi projectをきっかけに日本語を勉強しているみたいでオーディション番組内でも日本語で話している様子が見られます。4月17日に一回目が放送された「虹のかけ橋」では番組MCの古坂大魔王さんと森アナウンサーと日本語で会話していましたね。短い期間であそこまで話せるというのはすごいですね。
パク・ジニョンがプロデュースしてきたアイドルたち
これまでパク・ジニョンは2PMやTWICEといった日本で活躍しているグループの他にも強い女性像を体現したMiss Aやマーシャルアーツを取り入れたGOT7、バンド形態のDAY6、サバイバル番組出身のStray Kids、ガールクラッシュコンセプトで躍進したITZYなど沢山のグループをプロデュースしてきました。見出しにはアイドルたちと書きましたが、特にJYPの初めてのガールズグループWonder Girlsについて詳しく話します。私はWonder Girlsの曲もよく聴きますが、聴くたびにすごいグループだと感じます。パク・ジニョンは歌手として活動するかたわら、プロデューサーとしての活動も早くから取り組みGodやパク・チユンなどK-POPの黎明期(と言ってよいのか分かりませんが)にヒットしたアーティストたちをプロデュースしてきました。そして、パク・ジニョンは韓国での女性アイドルブームの火付け役となったWonder Girlsを生み出したのです。余談ですが最近、虹プロジェクトやSIXTEENといったオーディション番組でJYPのアーティストたちの曲が課題曲として使われ、今のK-POPファンにも少し前のK-POPの曲(2PMやワンガ、Miss Aなど)が認知され始めてJYPファンとしてはとてもうれしいです。Wonder Girlsは日本で若い世代を中心に大ブームを巻きを越した少女時代やKARAと同じ2007年にデビューし、韓国内ではそのレトロなコンセプトが受け「国民的ガールズグループ」といわれるまで成長します。少女時代が日本を中心にプロモーション活動を行ったのに対し、Wonder Girlsはアメリカや中国への進出をめざしました。虹プロジェクトでミイヒが歌い話題になった「Nobody」というWonder Girlsの代表曲は英語版もリリースされ、アメリカのビルボード・ホット100チャートにも韓国歌手として史上初ランクインします。その後も北米ツアーや中華圏での活動を精力的に行い、結局日本に進出したのは2012年となります。しかし、この頃すでに日本や韓国では少女時代やKARAが第一線で活動していたためそこに割って入っていくのがとても難しい状況になっていたのです。日本ではWonder Girlsの知名度が低いことの一因は日本進出が遅れたからだといわれています。その後もメンバーが数回入れ替わりデビュー10年目の2017年に解散を発表します。日本では知名度が低いWonder Girlsですが、間違いなくK-POPの歴史に大きな影響を与えたグループの一つだといえます。そういう点ではパク・ジニョンは多くのグループたちを生み出しK-POPの歴史を作ってきた人だといえるでしょう。
引用:Wonder Girls Nobody Album Photoshoot Pictures[3p] | Kpopasia
歌手としてのパク・ジニョン
プロデューサーとして活動しつつ歌手の活動も継続しているパク・ジニョンですが、歌手としてデビューしたのは経歴にある通り1992年です。この時は結局まったく売れずソロ歌手として改めてデビューしたのは1994年でした。1994年の1stアルバム「날 떠나지마」は元々ピアノバラードだった曲をダンス曲に編曲し、セクシーなダンスと黒人音楽を取り入れたスタイルが歌謡界にうけてヒットしました。この曲はJYPのアーティストたちの必修科目ともいえるほど重要な曲になっています。年末のJYPのアーティストたちだけのステージでは全員でこの曲を踊っていました。
1990年代後半にも3rd、4thアルバムを発表し「Honey」などのヒット曲を生みました。この曲はSIXTEENではチェヨンが、虹プロジェクトではリマが課題曲として使用しどちらも話題を呼びました。
2000年ごろには上でも述べたGODやパク・チユンをプロデュースしプロデューサーとしての才能も開花させました。そして2001年の6thアルバム以後六年間アルバムを発表せず、RAINやWonder Girls、2PMなどをプロデュースしその力量を発揮しました。2010年代にはいると、ミニアルバムやシングルの活動が多くなり2012年に代表曲の「너뿐이야」を発表します。その後も2015年に「어머님이 누구니(Who's your mama?)」2016年に「살아있네(Still Alive)」を発表し世間からも高評価を得ました。「Who's your mama?」は虹プロジェクトでリクがカバーしていましたね。「살아있네(Still Alive)」では過去のパク・ジニョン自身をパロディにして音楽人生を振り返り、自分はまだまだこれからだ!という意気込みを感じさせる曲でした。
2019年には約二年ぶりのシングル「FEVER」を発表し、音楽番組にも出演し歌手としても現役であることをアピールしました。この曲はYouTubeの再生回数も好調でプロデューサーとしての知名度も影響したと考えられます。これからも歌手としての活動を頑張って欲しいですね!
パク・ジニョンの信念
パク・ジニョンはこれまでSIXTEENやいま放送されてる虹プロジェクトでも一貫して、JYPのアーティストとして必要なものは歌やダンスの能力ではなく、人としての内面を重視すると話しています。SIXTEENの中ではパク・ジニョンはJYPが考えるいい人とは真実、誠実、謙遜を満たす人で、そもそも悪口は言わないようにと注意されないような人になってほしいと話しています。また努力を続けなくても有名になれる人はいるが、そういう人は長続きしない。長期的にみると努力し続けられる人が成功するのだとも話しています。「大事なのは才能ではなく、誠実に頑張る姿勢だ。」という言葉は彼の信念をよく表しています。JYPエンターテインメントが芸能事務所として成功したのもパク・ジニョンの信念をJYPのアーティストたちが理解しているからこそなのでしょう。
おわりに
今回はオーディション番組、虹プロジェクトでグループデビューのカギを握る人物パク・ジニョンさんについて紹介させていただきました。やはり日本文化への理解があることがTWICEを日本でヒットさせることができた一つの要因だと感じました。アイドルをプロデュースしながらも自分自身がアーティストとしても活動しているパク・ジニョンさんの活躍にこれからも期待したいですね!
最後に餅ゴリファンに見てほしい動画を挙げておきますね!
じゃあまた~